2020年 05月 31日
オンライン教育 |
明日から6月、オンデマンド授業による1Qが終わろうとしています。コラムです。COVID19の影響で、ほとんどの教育機関が、インターネットを活用した教育体制の構築に追われていることと思います。本学では、市内に感染者が確認された段階での休校措置(4/6)を経て、1週間後(4/13)にオンデマンド授業が開始されました。授業の遅れが1週間で済んだのは、関係者の努力のお陰だと思います。教職員、学生のリテラシーや対応力の高さは、高専の底力を見た思いです。また、国立51校は一法人で運営されているので、組織対応や情報共有は強みですね。システム系の基盤も申し分ないです。さて前置きが長くなりましたが、今回は「オンライン教育」と題してみました。個人的には新しい分野を勉強をするときには、オンライン教材を使うことが多いので、インプット系の学習に学校はいらない時代だなぁと前々から思っていました。わかりづらくて、つまらない授業を対面で受けるより、わかりやすくて、おもしろい授業をオンラインで受けた方が、明らかに効率的です。学校の先生の役割は、あらゆる個別対応だと思っています。昨今、これだけ多様な個性を認識するようになったわけですから、最新の技術をどんどん活用して、個別最適を目指した社会システムの構築を図っていく時期なんだと思います(話が大きくなった)。学校選びも、ここでないとやれないこと、この人にしか教われないこと、が重要なファクターになるといいですね。受験や学校システムも大きく変わるとよいと思います(個人的に9月入学は違うと思います)。教育現場にいる身として、なんか残念だなぁと思うことが一つでも減るといいです。本質的な学びって、やっぱ考えることだと思うんですよね。「人間は考える葦である」っていうじゃないですか。思考が停止している人を見るほど、残念なことはないです。あ、話が逸れました。さて、今回のオンライン授業では、多くのサービスが乱立して、学生を混乱させています。私の学生時代は、メールアドレスくらいのもので、LMSはなかったのですが、教える立場になった十数年前にはどの大学にも、なんちゃらポータル(大抵大学名とか)みたいなのがあって、+αでMoodle、Blackboard、UNIVERSAL PASSPORT、WebClassなどが導入されているイメージです。これらの数個のサービスであれば、ちょっとわかりづらいくらいですが、今回の乱立は、更にGoogleClassroom、MicrosoftTeams、YouTube、MicrosoftStream、ZOOM、Webex、GoogleMeet、Skype、LINE、Slack、e-mail等といった授業に使用するWebサービスが教員ごとにバラバラであることで起きています。しかも、毎回の授業がもれなく課題付なので学生は堪らんということです。とは言え、この辺りは一周した段階で改善されるでしょう。前向きに捉えれば、教員のICTのスキル向上のいい機会だったと思いますし、学生にとっても、様々なサービスを使いこなすいい機会だったのではと思います。今回のコロナ禍で、時間や場所を固定しない社会に、ようやく1歩踏み出した感じがします。学校もそうですが、社会のあり方そのものを変えるきっかけになったと思います。「みんなちがって みんないい」を体現できる社会になるといいですね。
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by yangyi0312
| 2020-05-31 17:09
| 独り言









山口県でもCOVID19の感染が確認されました。早く収束してくれるとよいのですが。コラムです。今回は債務超過。最近、米国企業で増加していることが話題になることが多いので書いてみることにしました。日本で債務超過と言えば、=倒産というイメージがあります。これは実際に債務超過となると、融資が止まったり、上場企業であれば上場廃止になったりすることから当然のことだと思います。企業の安全性を見る場合、自己資本比率は代表的な指標の一つになります。そんな倒産を連想させる債務超過ですが、昨年(2019年)S&P500社中24社もあったそうです。リーマンショックの2008年でも17社ということなので多いといってよいでしょう。ちなみに、そのなかにはマック(△82億ドル)やスタバ(△62億ドル)も入っています。また、その債務超過額合計は650億ドル(約7兆2,000億円)とこちらもリーマンショック以来の高水準だそうです。ただ、景気はドン底の2008年とは真逆でして、拡大が続きダウ平均も3万ドルを目指す展開でした(コロナがなければ)。どうしてこんなことが起きているのかというと、その原因は企業の財務戦略にある様です。その戦略とは、WACCを下げることで企業価値を上げるというものです。WACCは、負債資本コスト(利子率)と株主資本コストを加重平均したものです。株主資本コストはCAPM(資本資産評価モデル)で計算するとβ値にもよりますが、基本的に負債資本コストより高くなる(債権者より株主の方がリスクは高いですから)ため、負債を相対的に増やす(=株主資本を相対的に減らす)とWACCは下がります。WACCが下がれば、将来CFの割引現在価値である企業価値は、割引率(WACCを使用)が下がるので大きくなり、市場評価の向上に結びつくことになる、という計算上の理屈です。具体的には、財務レバレッジをかけて資本効率を上げる手段として、借金をして自社株買いをするというものです。総資本が変わらなければ、負債を増やすなり、株主資本を減らせば、ROEが上がる(株主が喜ぶ)のはわかると思います。あと、FCF(営業CF+投資CF)の黒字が続く見通しがあれば、返済が滞ることはないという認識で、債務超過であっても安全性に問題はないという文化が後押ししているようです。この代表格がアップルで、2019年の自社株買いが788億ドル、純利益の1.4倍の資金で資本を取り崩し、株価は年間で80%値上がりしたそうです。2012年9月期は無借金だったのに、今は有利子負債が自己資本を上回っているとか。財務の健全性より利益を株主還元することを優先する意識が強いとのことですが、純利益と同水準の自社株買いと配当の実施が継続可能なのかというのは疑問ですし、資本って資産を負債より多めにしておく重要概念で、やっぱマイナスはダメでしょうと思う日本人の私がいます。おわり
せっかく高専の教員になったので、新鮮味のあるうちに「高専」について書いてみます。コラムです(10年ぶり)。高専とは、中学卒業段階で入学する5年制の高等教育機関(なので、在学生は生徒ではなく学生)です。近年、中高6年を一貫教育する中高一貫校や高大連携といった高校と大学の接続教育が話題ですが、高専は高大一貫校と言えるでしょう。中卒から大卒までを一貫で教育しているわけですから。ちなみに、5年制の本科を卒業すると短大と同じ準学士、その後2年制の専攻科を修了すると学士の学位が与えられます。高専制度は、1961年に創設されているので2020年で59年を迎えます。創設された背景は、高度経済成長下の技術者需要増への対応で、短期間での大卒並の専門人材養成を目指したものです。工業系に限定されていたのも、そのような背景からであり、国立の5年一貫の充実した専門教育と高い就職率は、創設当時からの伝統と言えるでしょう。ただ、そんな時代はとうの昔に終わっており、当初の話は今や昔話、という感があります(進路実績は質量ともに現在も良好です)。あと規模が小さいので、知名度が低く、マイノリティー感が否めません。ただ、1学科40名という枠での少人数教育は貴重です。私大文系出身の私からすると、講義が最大40名、ゼミ(研究室)に学生が1学年4名程度というのは、驚愕の少人数教育です。専攻科に至っては、1学年1名いるかいないかなので、指導体制は大学院レベルだと思います。マイナーと言えば、私の所属している経営情報学科は、国立51高専に3つしかない文系学科の一つなので、マイナー中のマイナー、毎年全国で120名しか入学しない文系高専生の集う教育空間です。私が高専で最もいいなと思っているのは、中学卒業段階から、専門を博士号持ちの研究者から学べるというところです(持ってなくてすみません)。また、専門に限らず、国数英、社会のような教養科目を教えるのも研究者なので、知識の深さと専門に対する情熱はなかなかのものがあると思っています。この環境と比べると高校(特に普通科)で3年間過ごすのが勿体ないと感じてしまいます。とは言え、その力を発揮できるかは、学生の目的意識やモチベーション如何なので、ワクワクするような教育がされているかというと別問題です(教育って難しい)。あと、宇部高専に来て進んでるなぁと思ったのは、クウォーター制、グローバル人材育成、インターンシップ、PBLとかなのですが、並べてみると文科省の政策そのものですね(どこの大学でもやってるやつ)。クウォーター制は、週1だった授業が週2になったりして、短期間で集中して学習するカリキュラムになっているようです。通年履修で休みを挟みながらダラダラやってた自分たちの世代からすると、シラバスも完全ルーブリック仕様ですし、隔世の感があります。さらに2Qは、座学はせず、学科学年横断でプロジェクト学習等に充てています。教員・学生が様々な課題解決型のプロジェクトを企画して、学生が選択してプロジェクトに所属するというのは面白いなぁと思いました。これ以外に地域の課題解決に特化したプロジェクト型の授業(夏休み期間)もあるようです。高校の探究科がやっているようなものに近いのかもしれません。また、2Qと夏休みを利用して、長期の海外研修やインターンシップに充てることもできます。グローバル人材育成については、長期の海外派遣プログラムに年間100名以上参加ということなので、10人に1人(学生数1,000名)は海外に出ているようです。内容も海外の大学に行って、共同研究を行うのは単なる語学研修と比べて、本格的だなぁと思いました。通常の講義においても、毎回の学習内容を英語でまとめることをしていますし、研究・インターンシップ報告会においても、レジュメや口頭発表では、冒頭は英語による報告がされています。恥ずかしながら学生の方が経験値が高いです。インターンシップは、行くものだという認識でみんな行ってますね(単位目的のようですが)。ラインナップもしっかりしていて、さすが高専といったところです。長くなってきたのでまとめますと、文科省主導で行われている大学改革の内容を先んじて実施しているイメージを持ちました。組織自体も、独法化時点で国立高専51校を1つの法人にぶら下げて一括運営しているのは、現在、複数大学を一法人で運営する仕組みが国立大で進もうとしていますが、その完成形のように映ります。とは言え、改革が進めやすいのは、教授会がないというのが一番大きいように思いますね。トップダウンで進められるのは、文科省的には動かし易いはずです。そのような取組みが評価されているのか、ここのところ予算も重点的に配分されているようです。最後に1点、しょうがないんですけど40人学級で人間関係が長期に渡って固定されているのは、自分だったらキツいなぁと思います。
何もビジョンはないですけれど、2月も終わりなので、このタイトルで何か書いてみます。コラムです。法律と会計というのは、言うまでもなく密接な関わりがあるわけですが(会計制度は、会社法であったり、金融商品取引法であったり、法人税法、その他法律によって成り立っているので)、法学と会計学というと、距離感があるように感じます。制度上は密接な関係がありながら、学問領域として接点が希薄であることは、法学における民法と商法、税法とか、会計における財務会計と管理会計、税務会計といったように、各領域内においても同様に言えそうです。特に人文社会科学系においては、分野が独立している感が強いです(お互い不可侵が暗黙の了解?)。理系であれば、他分野とのコラボが新たな発見や発明になることも少なくなさそうですが。法学は、正しい法の制定や法の解釈を追及するものであり、会計学は、会計を正しく行うための論理を導くことがその存在意義でしょう。社会制度上、密接な関係にあるわけですから、きちんとした議論をするには、いずれの知識も網羅しつつ、合理的(論理的)な結論を導き出す必要があります。ただ、それだけの知識量を持ち合わせている専門家がどれだけいるかは?なところですが、理想はそうなると思います。債権法の改正に以前から興味があるのですが、会計行為となる法律行為で、法律上の規定が会計処理上ネックになるとすれば、どんな取引があるのかな?と考えてみてもイマイチ何も思い浮かばないのが現状です(ただの知識不足か)。でも、簿記上の取引は、必ずしも法律上の行為または事実上の行為と一致するものでもなく、一般の日常用語として使用される取引とも異なる場合もあるわけで、そういう意味ではあまり直接的な関連がないような気もします。なにせ、契約書を取り交わしても、簿記上は何もなかったのと一緒ですからね。ただ、法人税法上の取引は、簿記上の取引を前提としているので、会計とは密接です(ってか、会計制度の一部なので当然ですが)。しかし、簿記上の取引でも何でもないことに対しての課税も現実にはあったりするわけで、何とも言えません。現に、オウブンシャ・ホールディング事件では、会社機関としての株主総会における株主の意思表明を税法上の取引と認識して、その意思表明をもって課税しちゃったりしています(その是非については諸説ありますが)。それにしても、実務、特に会社組織から、財務会計、税金、内部統制、管理会計などすべてに渡る情報を網羅的に論理的に組み立てなければならないSEさんは、ホント大変ですよね。制度はころころ変わりますし…。一度でも、そういうプロジェクトに参画しておけば、一回り大きくなれたのになって思います。また、何の意味もない文章を書いてしまった…。さすがにこういう誤魔化し内容はやめんとな…。
一度書くと、勢いがつきます。コラムです。今回は、会計基準のコード化について。アメリカでは、数が増えすぎてカオス化している会計基準をコード化して一つに体系化しています。イメージとしては、法律のように条文化したと言ったところでしょうか(○○法第○条第○項みたいな)。コード化というと、身近なところでいえば、バーコードや学籍番号、郵便番号、電話番号などがありますが、事務処理やコンピュータ処理の際に情報を扱いやすくするためのものです。SEやっている頃には、データベースを作成するときに、どれだけ良質なコード体系を組むかが問われたものです。シンプルかつ重複なく、見ただけでわかるもの。コード化は、情報処理のスピードを飛躍的に上げる効果があります。さて、話を会計基準に戻しまして、会計基準のコード化は、2009年7月1日から正式に運用が開始されています。その名もFASB Accounting Standards Codification、FASB-ASCと略すそうです。無数の会計基準設定主体から公表されていた何千もの米国会計基準をおよそ90のトピックに整理しています。もととなっているのは、2009月6月29日公表のSFAS168号「FASBによる会計基準のコード化と一般に認められた会計原則のヒエラルキー―SFAS162号の差し替え」。これまでの会計基準はすべて廃止され、GAAPのヒエラルキーもA,B,C,D,Eの5段階あったものが、権威があるかないかの2段階とシンプルなものになりました(依然として概念フレームワークは権威がない扱い)。ある事項の会計基準といっても、基準があまりに分散しすぎて、見落としがちだし、見落としているのではないかと不安だし、といった今までの問題は、回避できたように見えます。IFRSや日本基準との比較もやりやすくなったのではないでしょうか。コード化のメリットは、なんといっても調べやすさです。準拠する会計基準も明確ですし、リアルタイムで更新されるので、アクセスすれば間違いないと言えます。ただ、書籍化されたものを使用するには限界がありそうです(ペーパーの方が何かと使い勝手がいいものですが)。私自身のおさらいとして、構成について解説を。コード化は、XXX-YY-ZZ-PP 、(トピック)-(サブトピック)-(セクション)-(パラグラフ)という形式で行われているそうです。トピックは、表示部分とか、勘定科目(構成要素)とか、取引別(事業結合、デリバティブなど)とか、産業別((航空、不動産、ソフトウェアなど))とか大きな括りで、サブトピックがその下、つまりトピックの部分集合(「リース」のサブトピック→「オペレーティング・リース」「キャピタル・リース」みたいな)、その次にサブトピックの内容の性質(「認識」「当初測定」「開示」など)であるセクション、そしてサブセクション、パラグラフ、サブパラグラフと続くそうです。ちなみに、SECの指針は、セクション番号の先頭にSがつくとか。今後新しい基準は、基準本文とFASB-ASC更新指示書「第YYYY-XX号」(公表年-通し番号)というものがセットで公表されると。体系化されたことで、かなり見易くなったと思われますが、このコード化、波になるのやら。