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  <title>column</title>
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  <author><name>yangyi0312</name></author>
  <tabline>コラム</tabline>
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    <title>私の履歴書③</title>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>独り言</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202509/01/51/a0036051_15174229.jpg" alt="_a0036051_15174229.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="160" width="160" />　今年3回目の投稿。コラムです。今回は（続）「私の履歴書」風。これといったコネもないなか、就職活動は奇跡的に2年で終えることができました。貯金が底をつくタイミングだったので、本当に運が良かったです。会社を辞めたので、平日日中はフルに使えたため、生活は一変しました。とはいうものの、高尾では授業だけではなく、会計教育センター（当時）でTAをさせてもらい、授業以外は常駐していたので、規則正しい生活を送っていました。長らく簿記に触れていなかったため、最初は質問にビクビクしていました。仕事は教育に限定されていたので、あれこれ考えずによい修業時代になりました。正課授業、資格講座、個別指導を集中的に経験できた貴重な2年間です。収入面の不安は尽きませんでしたが…。この間に、地元で集中講義を担当させていただいたのもよい思い出です。帰省の交通費が浮きました。社会人院生時代は、仕事と論文執筆だけで時間を使い果たしていたのですが、この頃は研究会にも顔を出すようになり、もっとも活動的だった気がします。教員公募もいっぱいエントリーしました。ほとんど書類で落ちましたが、地方を中心に面接によばれることもありました。結局、採用には至りませんでしたが…。金欠の就職浪人としては、交通費の出ない面接は苦しかったです。あと、学会参加も自腹なので、首都圏での開催以外は費用が捻出できない時期でした。夜行バスで行って、夜行バスで帰った記憶もあります。学会と言えば、JAAは平日が多いので、社会人時代は有休をとって参加していました。このような生活を送って貯金の底が見えてきた頃、定額のお給料をいただける教育補助講師のお話をいただいて、大変ありがたかったです。ただ、採用とともに就職も決まり、勤務は3ヶ月となってしまいました。短い間でしたが、お茶の水に通ったのもよい思い出です。図書館が使えたのがよかったです。就職活動とはわからないもので、同時期にいくつか採用をいただきました。都会＞田舎という基準で大阪に決めました。「特別専任教員」という記載に、周りからやや心配されましたが、あまり気にしていませんでした。その後、初回2年任期（その後毎年更新）を終え、5年の任期制教員（更新なし）を経て、無期雇用の専任教員になるまでに7年を要するわけですが、兎にも角にもお嫁さんと一緒に新天地 大阪での生活が始まります。このとき30歳。]]></content>
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    <title>戦後80年</title>
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    <issued>2025-08-15T08:35:00+09:00</issued>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>独り言</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202508/15/51/a0036051_08310532.jpg" alt="_a0036051_08310532.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="200" width="150" />　節目ということで、なんとなく書いてみました。コラムです。戦後生まれの父は年明けに傘寿。祖父は山口髙商出で朝鮮総督府の税務官史をしていたので、祖父母一家は山口を離れ、ソウルで暮らしていました。終戦時に祖母のお腹にいた父は、引き揚げ後に日本で生まれました。生前、引き揚げ時の話は聞いたことはないですが、持ち帰ったものは大層大事にしていたようです。広島が近いからなのか、学校教育も含め原爆に対する意識は比較的高い環境で育ったと思います。上京して、8月6日8時15分にサイレンが鳴らずに、黙祷もしないのかと思いました。街には、非核平和宣言都市と書いてあるのだから、このくらい意識してもよいだろうにと思った私はというと、9月1日が防災の日というのを上京して初めて知りました。私にとって関東大震災は教科書のなかの出来事だったので、地域差は大きいなと思いつつ、言い伝えることは大事だと思いました。この80年間、戦争をしていないというのは、とても素晴らしいことで、今後も続いてほしいと願ってやまないです。ただ、この平和を維持するためには、全方位にわたる努力をする必要があります。暴力に訴えるような国際秩序を生まないための弛まぬ努力が。よい面もあれば、悪い面もあるけれど、日本は素晴らしい国で、日本人は素晴らしいと思っています。いつ何時も驕れる者には歴史（失敗）から学ぶ力を養ってほしいと思います。そして、悲劇を繰り返さないためには、やはり言い伝えることが大事だと、ここ数十年の出来事を振り返っても言えるように思います。何が言いたいのかわからない抽象的な内容に終始しそうですが、悲劇を生まないためには、確かな情報と冷静な判断がどんな時代でも求められています。あと、倫理について考えよう。]]></content>
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    <title>交遊抄</title>
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    <issued>2025-03-26T10:47:00+09:00</issued>
    <modified>2025-03-31T10:36:45+09:00</modified>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>独り言</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202503/26/51/a0036051_10403987.jpg" alt="_a0036051_10403987.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="159.6" width="114" />　年度末、新年度はもうすぐそこ。コラムです。今回は「交遊抄」風。人にちょっかいを出すことのない自分が、なんとなく部活の見学中にむしった草を投げた（ちょっかいを出した）相手がM君だ。1992年春のことである。お互いが無職の頃も含め、元日の夜に酒を酌み交わすのが恒例になり、少なく見積もっても20年以上になる。年に1回、地元の自分になる時間でもある。学校で連む友人は別だが、6時半集合の朝練に間に合うように、近所のセブンイレブンに毎日待ち合わせて学校に通った。とにかく、家が近いのである。そのため、毎年会場は、あの頃と変わらないM家のM君の部屋である。昨年末に親父さんが亡くなられて、今年は親父さんの話もした。M家へ遊びに行ったときに、部屋に怒鳴り込んで扇風機が飛んできたことを今でも覚えている。そういった印象とは裏腹に、几帳面な方で、日記を欠かさずつけられていたそうだ。最後の1冊は最期を見越したようなものだったと聞いた。毎日、人生に向き合う生活をされていたのだと感じた。シンプルに丁寧な生き方だと思った。45にもなると、日々のいろいろもあり、雑な生活を送りがちである。毎日を丁寧に生きていきたい。社会生活が長くなると、利害のない関係は貴重である。令和8年の元日もYM会談を楽しみにしている。]]></content>
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    <title>私の履歴書②</title>
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    <issued>2024-08-11T17:39:00+09:00</issued>
    <modified>2024-08-11T17:43:56+09:00</modified>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>独り言</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202408/11/51/a0036051_17321678.jpg" alt="_a0036051_17321678.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="160" width="160" />　前期を終え、夏休みに入りました。コラムです。山口に戻って10年ぶりに再開したと思っていたら、4年以上も放置していました。今回も「私の履歴書」風。梲が上がらない、鳴かず飛ばずの会計士受験生活は、そのまま院試に持ち込まれます。会計目的や概念フレームワークに関心があったので、もう少し勉強したい気持ちがあったのですが、試験対策らしい試験対策もせず、何となく理解している理論と、4年間やっていた中国語で臨んでしまいます。結果、当然のように落ちます。そして、冬の院試を実施していた拓大に進学します。マスター時代は、試験や業績などのプレッシャーはなく、興味をもった専門書や論文を自由に読める時間を満喫していました。そんなこんなで、就職する意識もなく、このまま勉強していたいなぁとドクターに進んでしまいます。当時は2ヶ国語必須だったので、語学ができないのによく受かったと思います。博士に進学してからは、業績や学位を強烈に意識せざるを得ない状況（気付くの遅い）となり、好きなことをやるという感じではなくなっていきました。他大学で死ぬほど頑張っている院生が挫折して研究から去っていくのを横目で見ながら、自分はどうにもならないだろうし、ここらが潮時かなという結論に至ります。そして、ドクターを1年終えたところで、一般企業に就職しました。いつも通り、周りに相談することもなく、勝手に決めます。心からお詫びする次第ですが、相談してマトモな助言をもらうと人の勧めた人生を歩むことになるので、人生を左右する局面では自分勝手にするのが、よりよく生きるコツだと思っています。会社に入ってからは、新しいことに取り組む楽しさと働くことが苦にならない性格が相まって、いっぱい働きました。ここで得た技術や知識、会社員経験が、その後のキャリアに必要不可欠なものとなります。大学院はというと、1年の休学を経て復学することになります。会社を辞めて、研究に専念するよう求められましたが、その気持ちはなかったので退学を伝えたところ、休日に指導するので続けないかと勧められたので、社会人大学院生になりました。このご恩は一生ものです。働きながらの学位は諦めていたので、興味をもったテーマで自由に論文を書いて、満期退学しました。学位は未取得ですが、教員公募への応募が可能になったので、30歳まではチャレンジしてみようと思い、会社を辞めて、非常勤講師生活に入ります。このとき28歳。奨学金残高が約900万円。年金、健康保険と家賃で家計は赤字だったので、金銭的に厳しい時代でした。]]></content>
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    <title>私の履歴書</title>
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    <issued>2020-07-24T13:28:00+09:00</issued>
    <modified>2023-04-19T14:06:31+09:00</modified>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>独り言</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202007/24/51/a0036051_13242354.jpg" alt="_a0036051_13242354.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="160" width="160" />　2Q前半を終え、夏休みに入りました。コラムです。唐突ですが今回は「私の履歴書」風。小さい頃は喋り始めるのが遅かったうえに数字が好きだったようです。小学校に入学した頃は、無駄に難しい漢字を覚えまくったり、自転車を改造したりしていました。86年の年末時代劇スペシャル『白虎隊』で歴史好きに火がついてしまい、会津藩や長州藩の旗を作ってみたり、祖父のアトリエに篭って歴史本を漁ったり、史跡を巡ってみたり、それをまとめてみたり、ちょっと変わった子どもだったかもしれません。小学6年の頃は、毎日ノート半冊分以上を使うほど日本の歴史をまとめていました。数ヶ月で飽きてしまいましたが…。この辺りに研究者としての原点があるように思います。飽きっぽいところも含め。一方、ナウシカやラピュタ、BTTFやターミネーターをアホみたいに繰り返し観る普通の小学生でした。ビックリマンやミニ四駆もやりましたね。平均身長に数cm足りないくらいの身長ですが、3月生まれということもあり、小学校までは背の順で前から数番目の位置でした。とは言え、運動全般は得意分野で、徒競走も小学6年のときに足の速い順で組まれた回以外は1位だったと思います。組体操は中心の高い塔のてっぺんでした。緊張しましたが、なんとかなるもんだと思いました。中高は陸上部でずっと走っていました。特に中学時代は毎朝6時に家を出て朝練、夕方の練習が終わっても、夜に近所で練習していました。部活が盛んな学校で、まるで軍隊だったので、30分前集合が当然でした。高校に入って、世間のゆるさにカルチャーショックを受けたほどです。勝負所で力を出すための日常の過ごし方は、ここで学びました。高校時代は無気力でした。部活もほどほどにこなし、友達ともほどほどに遊び、何かに集中することもなく時間が過ぎていきました。受験を目的にした勉強が嫌で、勉強しないと決めてしまい、成績は何とか進級できるレベルでした。歴史好きなのに、そんな厨二病を発症して、日本史の授業でもろくに聞かずに後ろの席でトランプしていました。高校3年の夏休みに、唐突に自転車の旅に出たのは、パワーが有り余っていたのだと思います。生まれる4ヶ月前に亡くなった祖父が税理士で、昔から漠然と事務所を継ぎたいと思っていたので「会計」の文字の入った学科から中央大学に進学しました。1年目は大学そっちのけで、アルバイトに勤しみました。任されることがとにかく楽しかったのだと思います。社員ばりに情報収集しながら仕事してましたし、好きな勉強の原点に立ち返る機会になりました。あと、社会人以降の社畜気質が垣間見れます。ただ、ある程度仕事ができるようになって「バイトはバイト」という感覚を持てたのはよかったです。時間をこれ以上ここに費やすのは無駄だと思い、辞めました。大学1年の冬に公認会計士講座を受講することにして、水道橋の大原に通うようになりました。この頃から、新聞や本を読むのが習慣になりました。大学3年と4年の時に公認会計士試験を受けましたが、典型的な授業を受けるだけの受験生で、まともに試験勉強をしていなかったので、当然のように落ちました。絶対に受からない、授業に全くついていけない状態は、精神的に相当キツかったのですが、今となってはいい経験だと思います。失敗や挫折は、いろんなことを教えてくれるので貴重です。]]></content>
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    <title>オンライン教育</title>
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    <issued>2020-05-31T17:09:00+09:00</issued>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>独り言</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202005/31/51/a0036051_16485615.png" alt="_a0036051_16485615.png" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="132" width="167" />　明日から6月、オンデマンド授業による1Qが終わろうとしています。コラムです。COVID19の影響で、ほとんどの教育機関が、インターネットを活用した教育体制の構築に追われていることと思います。本学では、市内に感染者が確認された段階での休校措置(4/6)を経て、1週間後(4/13)にオンデマンド授業が開始されました。授業の遅れが1週間で済んだのは、関係者の努力のお陰だと思います。教職員、学生のリテラシーや対応力の高さは、高専の底力を見た思いです。また、国立51校は一法人で運営されているので、組織対応や情報共有は強みですね。システム系の基盤も申し分ないです。さて前置きが長くなりましたが、今回は「オンライン教育」と題してみました。個人的には新しい分野を勉強をするときには、オンライン教材を使うことが多いので、インプット系の学習に学校はいらない時代だなぁと前々から思っていました。わかりづらくて、つまらない授業を対面で受けるより、わかりやすくて、おもしろい授業をオンラインで受けた方が、明らかに効率的です。学校の先生の役割は、あらゆる個別対応だと思っています。昨今、これだけ多様な個性を認識するようになったわけですから、最新の技術をどんどん活用して、個別最適を目指した社会システムの構築を図っていく時期なんだと思います（話が大きくなった）。学校選びも、ここでないとやれないこと、この人にしか教われないこと、が重要なファクターになるといいですね。受験や学校システムも大きく変わるとよいと思います（個人的に9月入学は違うと思います）。教育現場にいる身として、なんか残念だなぁと思うことが一つでも減るといいです。本質的な学びって、やっぱ考えることだと思うんですよね。「人間は考える葦である」っていうじゃないですか。思考が停止している人を見るほど、残念なことはないです。あ、話が逸れました。さて、今回のオンライン授業では、多くのサービスが乱立して、学生を混乱させています。私の学生時代は、メールアドレスくらいのもので、LMSはなかったのですが、教える立場になった十数年前にはどの大学にも、なんちゃらポータル（大抵大学名とか）みたいなのがあって、＋αでMoodle、Blackboard、UNIVERSAL PASSPORT、WebClassなどが導入されているイメージです。これらの数個のサービスであれば、ちょっとわかりづらいくらいですが、今回の乱立は、更にGoogleClassroom、MicrosoftTeams、YouTube、MicrosoftStream、ZOOM、Webex、GoogleMeet、Skype、LINE、Slack、e-mail等といった授業に使用するWebサービスが教員ごとにバラバラであることで起きています。しかも、毎回の授業がもれなく課題付なので学生は堪らんということです。とは言え、この辺りは一周した段階で改善されるでしょう。前向きに捉えれば、教員のICTのスキル向上のいい機会だったと思いますし、学生にとっても、様々なサービスを使いこなすいい機会だったのではと思います。今回のコロナ禍で、時間や場所を固定しない社会に、ようやく1歩踏み出した感じがします。学校もそうですが、社会のあり方そのものを変えるきっかけになったと思います。「みんなちがって みんないい」を体現できる社会になるといいですね。]]></content>
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    <title>債務超過</title>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>会計一般</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202003/04/51/a0036051_17303344.jpeg" alt="_a0036051_17303344.jpeg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="166.67" width="125" />　山口県でもCOVID19の感染が確認されました。早く収束してくれるとよいのですが。コラムです。今回は債務超過。最近、米国企業で増加していることが話題になることが多いので書いてみることにしました。日本で債務超過と言えば、＝倒産というイメージがあります。これは実際に債務超過となると、融資が止まったり、上場企業であれば上場廃止になったりすることから当然のことだと思います。企業の安全性を見る場合、自己資本比率は代表的な指標の一つになります。そんな倒産を連想させる債務超過ですが、昨年（2019年）S&P500社中24社もあったそうです。リーマンショックの2008年でも17社ということなので多いといってよいでしょう。ちなみに、そのなかにはマック（△82億ドル）やスタバ（△62億ドル）も入っています。また、その債務超過額合計は650億ドル（約7兆2,000億円）とこちらもリーマンショック以来の高水準だそうです。ただ、景気はドン底の2008年とは真逆でして、拡大が続きダウ平均も3万ドルを目指す展開でした（コロナがなければ）。どうしてこんなことが起きているのかというと、その原因は企業の財務戦略にある様です。その戦略とは、WACCを下げることで企業価値を上げるというものです。WACCは、負債資本コスト（利子率）と株主資本コストを加重平均したものです。株主資本コストはCAPM（資本資産評価モデル）で計算するとβ値にもよりますが、基本的に負債資本コストより高くなる（債権者より株主の方がリスクは高いですから）ため、負債を相対的に増やす（=株主資本を相対的に減らす）とWACCは下がります。WACCが下がれば、将来CFの割引現在価値である企業価値は、割引率（WACCを使用）が下がるので大きくなり、市場評価の向上に結びつくことになる、という計算上の理屈です。具体的には、財務レバレッジをかけて資本効率を上げる手段として、借金をして自社株買いをするというものです。総資本が変わらなければ、負債を増やすなり、株主資本を減らせば、ROEが上がる（株主が喜ぶ）のはわかると思います。あと、FCF（営業CF＋投資CF）の黒字が続く見通しがあれば、返済が滞ることはないという認識で、債務超過であっても安全性に問題はないという文化が後押ししているようです。この代表格がアップルで、2019年の自社株買いが788億ドル、純利益の1.4倍の資金で資本を取り崩し、株価は年間で80%値上がりしたそうです。2012年9月期は無借金だったのに、今は有利子負債が自己資本を上回っているとか。財務の健全性より利益を株主還元することを優先する意識が強いとのことですが、純利益と同水準の自社株買いと配当の実施が継続可能なのかというのは疑問ですし、資本って資産を負債より多めにしておく重要概念で、やっぱマイナスはダメでしょうと思う日本人の私がいます。おわり]]></content>
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    <title>高専</title>
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    <issued>2020-02-01T09:19:00+09:00</issued>
    <modified>2024-08-21T09:52:44+09:00</modified>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>独り言</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202002/01/51/a0036051_09152855.jpg" alt="_a0036051_09152855.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="166.67" width="125" />　せっかく高専の教員になったので、新鮮味のあるうちに「高専」について書いてみます。コラムです（10年ぶり）。高専とは、中学卒業段階で入学する5年制の高等教育機関（なので、在学生は生徒ではなく学生）です。近年、中高6年を一貫教育する中高一貫校や高大連携といった高校と大学の接続教育が話題ですが、高専は高大一貫校と言えるでしょう。中卒から大卒までを一貫で教育しているわけですから。ちなみに、5年制の本科を卒業すると短大と同じ準学士、その後2年制の専攻科を修了すると学士の学位が与えられます。高専制度は、1961年に創設されているので2020年で59年を迎えます。創設された背景は、高度経済成長下の技術者需要増への対応で、短期間での大卒並の専門人材養成を目指したものです。工業系に限定されていたのも、そのような背景からであり、国立の5年一貫の充実した専門教育と高い就職率は、創設当時からの伝統と言えるでしょう。ただ、そんな時代はとうの昔に終わっており、当初の話は今や昔話、という感があります（進路実績は質量ともに現在も良好です）。あと規模が小さいので、知名度が低く、マイノリティー感が否めません。ただ、1学科40名という枠での少人数教育は貴重です。私大文系出身の私からすると、講義が最大40名、ゼミ（研究室）に学生が1学年4名程度というのは、驚愕の少人数教育です。専攻科に至っては、1学年1名いるかいないかなので、指導体制は大学院レベルだと思います。マイナーと言えば、私の所属している経営情報学科は、国立51高専に3つしかない文系学科の一つなので、マイナー中のマイナー、毎年全国で120名しか入学しない文系高専生の集う教育空間です。私が高専で最もいいなと思っているのは、中学卒業段階から、専門を博士号持ちの研究者から学べるというところです（持ってなくてすみません）。また、専門に限らず、国数英、社会のような教養科目を教えるのも研究者なので、知識の深さと専門に対する情熱はなかなかのものがあると思っています。この環境と比べると高校（特に普通科）で3年間過ごすのが勿体ないと感じてしまいます。とは言え、その力を発揮できるかは、学生の目的意識やモチベーション如何なので、ワクワクするような教育がされているかというと別問題です（教育って難しい）。あと、宇部高専に来て進んでるなぁと思ったのは、クウォーター制、グローバル人材育成、インターンシップ、PBLとかなのですが、並べてみると文科省の政策そのものですね（どこの大学でもやってるやつ）。クウォーター制は、週1だった授業が週2になったりして、短期間で集中して学習するカリキュラムになっているようです。通年履修で休みを挟みながらダラダラやってた自分たちの世代からすると、シラバスも完全ルーブリック仕様ですし、隔世の感があります。さらに2Qは、座学はせず、学科学年横断でプロジェクト学習等に充てています。教員・学生が様々な課題解決型のプロジェクトを企画して、学生が選択してプロジェクトに所属するというのは面白いなぁと思いました。これ以外に地域の課題解決に特化したプロジェクト型の授業（夏休み期間）もあるようです。高校の探究科がやっているようなものに近いのかもしれません。また、2Qと夏休みを利用して、長期の海外研修やインターンシップに充てることもできます。グローバル人材育成については、長期の海外派遣プログラムに年間100名以上参加ということなので、10人に1人（学生数1,000名）は海外に出ているようです。内容も海外の大学に行って、共同研究を行うのは単なる語学研修と比べて、本格的だなぁと思いました。通常の講義においても、毎回の学習内容を英語でまとめることをしていますし、研究・インターンシップ報告会においても、レジュメや口頭発表では、冒頭は英語による報告がされています。恥ずかしながら学生の方が経験値が高いです。インターンシップは、行くものだという認識でみんな行ってますね（単位目的のようですが）。ラインナップもしっかりしていて、さすが高専といったところです。長くなってきたのでまとめますと、文科省主導で行われている大学改革の内容を先んじて実施しているイメージを持ちました。組織自体も、独法化時点で国立高専51校を1つの法人にぶら下げて一括運営しているのは、現在、複数大学を一法人で運営する仕組みが国立大で進もうとしていますが、その完成形のように映ります。とは言え、改革が進めやすいのは、教授会がないというのが一番大きいように思いますね。トップダウンで進められるのは、文科省的には動かし易いはずです。そのような取組みが評価されているのか、ここのところ予算も重点的に配分されているようです。最後に1点、しょうがないんですけど40人学級で人間関係が長期に渡って固定されているのは、自分だったらキツいなぁと思います。]]></content>
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    <title>法学と会計学</title>
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    <issued>2010-02-27T23:50:31+09:00</issued>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>会計一般</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201002/27/51/a0036051_23493814.jpg" alt="_a0036051_23493814.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="160" width="120" />　何もビジョンはないですけれど、2月も終わりなので、このタイトルで何か書いてみます。コラムです。法律と会計というのは、言うまでもなく密接な関わりがあるわけですが（会計制度は、会社法であったり、金融商品取引法であったり、法人税法、その他法律によって成り立っているので）、法学と会計学というと、距離感があるように感じます。制度上は密接な関係がありながら、学問領域として接点が希薄であることは、法学における民法と商法、税法とか、会計における財務会計と管理会計、税務会計といったように、各領域内においても同様に言えそうです。特に人文社会科学系においては、分野が独立している感が強いです（お互い不可侵が暗黙の了解？）。理系であれば、他分野とのコラボが新たな発見や発明になることも少なくなさそうですが。法学は、正しい法の制定や法の解釈を追及するものであり、会計学は、会計を正しく行うための論理を導くことがその存在意義でしょう。社会制度上、密接な関係にあるわけですから、きちんとした議論をするには、いずれの知識も網羅しつつ、合理的（論理的）な結論を導き出す必要があります。ただ、それだけの知識量を持ち合わせている専門家がどれだけいるかは？なところですが、理想はそうなると思います。債権法の改正に以前から興味があるのですが、会計行為となる法律行為で、法律上の規定が会計処理上ネックになるとすれば、どんな取引があるのかな？と考えてみてもイマイチ何も思い浮かばないのが現状です（ただの知識不足か）。でも、簿記上の取引は、必ずしも法律上の行為または事実上の行為と一致するものでもなく、一般の日常用語として使用される取引とも異なる場合もあるわけで、そういう意味ではあまり直接的な関連がないような気もします。なにせ、契約書を取り交わしても、簿記上は何もなかったのと一緒ですからね。ただ、法人税法上の取引は、簿記上の取引を前提としているので、会計とは密接です（ってか、会計制度の一部なので当然ですが）。しかし、簿記上の取引でも何でもないことに対しての課税も現実にはあったりするわけで、何とも言えません。現に、オウブンシャ・ホールディング事件では、会社機関としての株主総会における株主の意思表明を税法上の取引と認識して、その意思表明をもって課税しちゃったりしています（その是非については諸説ありますが）。それにしても、実務、特に会社組織から、財務会計、税金、内部統制、管理会計などすべてに渡る情報を網羅的に論理的に組み立てなければならないSEさんは、ホント大変ですよね。制度はころころ変わりますし…。一度でも、そういうプロジェクトに参画しておけば、一回り大きくなれたのになって思います。また、何の意味もない文章を書いてしまった…。さすがにこういう誤魔化し内容はやめんとな…。]]></content>
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    <title>会計基準のコード化</title>
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    <issued>2010-01-26T21:45:55+09:00</issued>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>会計一般</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201001/26/51/a0036051_21442259.jpg" alt="_a0036051_21442259.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="160" width="120" />　一度書くと、勢いがつきます。コラムです。今回は、会計基準のコード化について。アメリカでは、数が増えすぎてカオス化している会計基準をコード化して一つに体系化しています。イメージとしては、法律のように条文化したと言ったところでしょうか（○○法第○条第○項みたいな）。コード化というと、身近なところでいえば、バーコードや学籍番号、郵便番号、電話番号などがありますが、事務処理やコンピュータ処理の際に情報を扱いやすくするためのものです。SEやっている頃には、データベースを作成するときに、どれだけ良質なコード体系を組むかが問われたものです。シンプルかつ重複なく、見ただけでわかるもの。コード化は、情報処理のスピードを飛躍的に上げる効果があります。さて、話を会計基準に戻しまして、会計基準のコード化は、2009年7月1日から正式に運用が開始されています。その名もFASB Accounting Standards Codification、FASB-ASCと略すそうです。無数の会計基準設定主体から公表されていた何千もの米国会計基準をおよそ90のトピックに整理しています。もととなっているのは、2009月6月29日公表のSFAS168号「FASBによる会計基準のコード化と一般に認められた会計原則のヒエラルキー―SFAS162号の差し替え」。これまでの会計基準はすべて廃止され、GAAPのヒエラルキーもA,B,C,D,Eの5段階あったものが、権威があるかないかの2段階とシンプルなものになりました（依然として概念フレームワークは権威がない扱い）。ある事項の会計基準といっても、基準があまりに分散しすぎて、見落としがちだし、見落としているのではないかと不安だし、といった今までの問題は、回避できたように見えます。IFRSや日本基準との比較もやりやすくなったのではないでしょうか。コード化のメリットは、なんといっても調べやすさです。準拠する会計基準も明確ですし、リアルタイムで更新されるので、アクセスすれば間違いないと言えます。ただ、書籍化されたものを使用するには限界がありそうです（ペーパーの方が何かと使い勝手がいいものですが）。私自身のおさらいとして、構成について解説を。コード化は、XXX－YY－ZZ－PP 、(トピック)－(サブトピック)－(セクション)－(パラグラフ)という形式で行われているそうです。トピックは、表示部分とか、勘定科目（構成要素）とか、取引別（事業結合、デリバティブなど）とか、産業別（（航空、不動産、ソフトウェアなど））とか大きな括りで、サブトピックがその下、つまりトピックの部分集合（「リース」のサブトピック→「オペレーティング・リース」「キャピタル・リース」みたいな）、その次にサブトピックの内容の性質（「認識」「当初測定」「開示」など）であるセクション、そしてサブセクション、パラグラフ、サブパラグラフと続くそうです。ちなみに、SECの指針は、セクション番号の先頭にSがつくとか。今後新しい基準は、基準本文とFASB-ASC更新指示書「第YYYY－XX号」(公表年－通し番号)というものがセットで公表されると。体系化されたことで、かなり見易くなったと思われますが、このコード化、波になるのやら。]]></content>
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    <title>公開会社法</title>
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    <issued>2010-01-24T18:48:52+09:00</issued>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>会計一般</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201001/24/51/a0036051_18461137.jpg" alt="_a0036051_18461137.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="160" width="120" />　最後のコラムから2カ月。すっかりご無沙汰してしまいました。コラムです。1/5日経一面では、公開会社法を2011年立法化に向けて法制審議会に諮問する方針という記事がありました。現在の会社法は、商法の会社編が分離独立して平成18年から施行されていますが、公開会社法とは一体なんぞや？ということで、ひとつ書いてみることにしました。立法の狙いとしては、有限会社法のような内容（株主＝所有者、経営者＝代理人）、市場を意識しない内容となっている会社法を、市場に近づけよう、金商法のルールも会社法のルールとして認知しよう、会社法と証券規制との間に接点を作ろう、というものらしいです。昨今の村上ファンド的な発想では、“会社は株主のもの”、“株主利益最優先”なんて言いますが、会社は定款に書いてある目的実現のための組織であり、資本はその目的を助け、貢献するものであり、資本のために経営するわけではないというのが正しい考え方でしょう。稼いだ利益を雇用にまわすか、設備投資にまわすか、配当にまわすかは、経営判断事項であり、利益は株主のものであるとして、経営者を縛るようでは、一体何を信任しているのかという話です。投資した時点で、そのカネは会社のものであり、気に食わなければ、売ればいいのです。有限責任のくせに、無限責任のような態度は横柄でしょう。責任と所有の関係が歪んでいるのは、親子会社でも一緒です。実際は集団で行動し、責任とガバナンスは別（100%親子でも会社としては対等）。支配するけど責任はないでは、やはり無責任です。このような市場で投資家を相手にしている会社、企業集団を形成している会社を有限会社のように扱い、運用がおかしくなっている部分を改善しようというのが公開会社法ということです。中身はよく知りませんが、民主党案やら取締役会協会で作成された公開会社法要綱案などがあるそうです。ポイントとしては、情報開示の徹底、企業統治の強化、企業集団に関する責任や権限の明確化の3つがよく示されています。あと、監査役会への従業員代表の参加も取り立たされているようですが、海外もそうだからという議員の浅知恵といった要素が大きそうです。社会構造や企業環境、文化を無視した真似事は、混乱の温床になるので、注意してほしいものです。欧米は、個人が社会の基礎にあることが大前提という認識があるからこそ、社会の主人公である個人が株を買うと、株主としても大事にされ、個人が尊重されるからこそ労働者が大事に扱われるという流れであるのに対し、日本では株を買えば主人公になれる、労働者を参加させればよくなるという、何か安易な発想が垣間見えるような気がします。まあ、欧米でも昨今の市場原理主義的な様相のなかでは、市場だけが肥大化してデモクラシーとのバランスを失っていたと言えますが。公開会社法について書こうと思いましたが、ちょっとした“会社は株主のもの”批判になってしましました。切りがいいので、今回はこの辺で。]]></content>
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    <title>アジャイル開発の契約形態、そして収益認識</title>
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    <issued>2009-11-22T13:46:43+09:00</issued>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>会計一般</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200911/22/51/a0036051_13444626.jpg" alt="_a0036051_13444626.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="160" width="120" />　寒い日が多いですね。コラムです。最近、書店のビジネス雑誌コーナーには、IFRSモノが並んでいます。我が家に隔週で送られてくる日経コンピュータを見ていると、こちらでもIFRSという単語は毎号目にします。業界を離れると、得てして読むのが気晴らしになったりします。最近は、クラウドネタが多いのですが、11/11号でアジャイルの話が面白かったので、それをもとにちょっと駄文を起こしてみます。さて、最近、アジャイル開発が熱いらしいです。富士通の統計では、技術者の満足度が全国平均を上回るとか。キーワードは、「繰り返し開発」と「振り返り」。基本は、ウォーターフォール開発で、そのなかでアジャイル開発手法である「Scram（スクラム）」を使用するのがベターだという紹介がありました。「繰り返しと振り返りは大規模開発でもそのまま適用できる」ということで、要は、アジャイル開発とウォーターフォール開発の使い分けや融合を目指すという形。アジャイル開発の場合、短期間の繰り返し開発と振り返りが行われるため、仕様変更を受け入れられる（発生するタイミングも早い）手法だということです。ただ、アジャイル開発は、その性質上、請負契約が馴染まないという点が結構採用のネックになっているようです。どちらかというと準委任で要件定義やコンサルと同様の契約が向いていると書かれています。おそらく、一緒に考えながら作る作業というのが、請負ではベンダーにリスクがあるということからなのでしょう。ただ、ソフトウェア開発の場合、準委任契約にするとトラブルの温床になりやすいと言えます。準委任の場合、請負のように成果物の納品が要件とならずに、作業期間や工数の満了をもって契約の履行となるため、善管注意義務に違反しない限り、成果を問われないことになります。ユーザーとしては請負が望ましいけど、ベンダーは準委任が望ましいとなる構造をもう少し業界でまとめる必要がありそうです。さて、この契約形態の違いを会計の観点から捉えなおすと、要は財とサービスの違いに行きつきそうです。請負は、成果物の納品を持って契約完了ですから、まさに財の提供、つまり財の移転をもって収益を認識するでしょうし、準委任の場合、一定の期間、作業に従事することをもって契約完了ですから、サービスの提供の終了をもって収益を認識することになります。ただ、サービスの提供（準委任）の場合は、もう少し現実は複雑な気がします。準委任契約として行われるものとして、IT業界であれば、コンサルや保守サービス、他業種だと医療行為や不動産仲介、介護等のサービスが該当します。さて、この場合、すべて提供終了時というのがいいのか悪いのか、かなりケースバイケースです。発生主義に基づけば、サービスを行っているときに継続的に移転しているようにも考えられますし、もう少し掘り下げて考えてみたいものです。あと、契約形態と言えば、民法上は贈与・売買・交換・消費貸借・使用貸借・賃貸借・雇用・請負・委任・寄託・組合・終身定期金・和解の13の契約形態が規定されているわけで、ここら辺も少し債権法の改正とあわせて吟味したいと思う今日この頃。とりとめもなく、ダラダラと書いてしまいましたがここで終了。]]></content>
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    <title>債権法の抜本改正</title>
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    <issued>2009-11-16T23:09:57+09:00</issued>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>会計一般</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200911/16/51/a0036051_2392119.jpg" alt="_a0036051_2392119.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="160" width="120" />　最近、忙しいこともあって、知識が偏りがち。コラムです。他分野は当然のこと、会計分野でもちょっと狭くなりがちです。それこそ、学生の頃は、いろいろな授業や集まりで少しは情報を吸収する機会もありましたが、最近は財務会計一つ、ろくに把握できていないような状況です。こないだ学内の研究会でまったく違う分野の報告を聞く機会があって、とても新鮮でした。普段もシンポジウムや講演会なんかに行けるといいんですけど…。アイデアってのは、とにかくインプットなしには浮かんでこないもので、幅広くインプットして、あとはその組み合わせです。いいアイデアには、とにかくいろんな刺激、インプットを自分のなかで消化して、考え抜くことです。知識と刺激をもらうための研究会も多忙とガッツ不足で休みがち。頑張れ自分。さて、前置きが長くなりましたが、最近、収益認識、特に「顧客との契約における収益認識」を中心に研究をしているので、債権法の抜本改正が気になります。現在の契約に関する規定は、1896年制定以来だそうです。ということは、民法制定時に存在しなかった事業・サービスについて規定するとことが改正の柱となるようです。つまり、現代社会の契約の実態を反映するために、商法や消費者契約法が規定する契約ルールを債権法に盛り込んだり、省略していた契約の基本原則を明文化したりするそうです。契約を法律から見ることによって、法的実体や税務会計、国際化が進む財務会計分野においては、日本における契約のあり方を基礎とした理論展開もできるのかもと勝手に妄想が膨らみます。あと、民法なんて、学部のときの授業で勉強しただけなので、基本的な単語や考え方くらいしかわからないので、もうちょっと深く見てみたいなぁと。　特に、情報サービス産業においては、ソフトウェア開発やコンサルティングサービスなど、そのサービス内容、契約形態は様々です。まあ、委任、準委任、請負のいずれかと言ってしまえば、それまでですが。今回の改正の焦点でもあるリース契約も会計上、とても重要な論点ですし、少し詳しく見ていくと何かないかなぁと全く根拠のない妄想がまた膨らんだり。法律上と会計上の判断が異なるのは、もちろんですが、では、どう違うのかということを詳細に突き詰めてみるのも面白いと思います。なぜ違うのかってのは、ザックリ言えば、会計は財政状態や経営成績を報告するのに、もっとも適切なところで認識・測定するものなので、法的実体を必ずしも忠実に反映しないということになりますが、もう一つ踏み込んで、近年の複雑化した契約形態のなかでどのように解釈され、そなぜ違うのかという部分まで突き詰めてみてもいいのかなって。と、妄想ばかりしててもしょうがない。すぐに手をつけることが肝要ですね。]]></content>
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    <title>記事を追うだけですが、</title>
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    <issued>2009-11-16T22:46:28+09:00</issued>
    <modified>2013-01-24T12:29:45+09:00</modified>
    <created>2009-11-16T22:46:27+09:00</created>
    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>会計一般</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200911/16/51/a0036051_22454955.jpg" alt="_a0036051_22454955.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="160" width="120" />　多忙につき、長く更新していませんでした。コラムです。相変わらず、会計の世界は変化の荒波にあります。いよいよコンバージェンスまで、あと2年。プロジェクト計画表も項目が減ってきて、Finalが増えています。そして、IFRS受入れも時間の問題か。ここ4ヶ月くらいの日経記事を振り返って見てみると、コンバージェンス・アドプションに向けたトピックや日本企業のIFRS適用に向けた動き、監査の話が多いです。コラムを書くためにちょっと追ってみます。コンバージェンス・アドプションの話は、9月のプロジェクト計画表の公表から、今後、変更されるであろう基準について触れている内容。10月の始めには、「国際会計基準 日本への影響」という計5回の連載が組まれていました。内容は、包括利益、M&A、年金債務、金融商品、リース。通常記事でも、売上計上基準やポイント会計なんかが載っていました。最も多かったのは、7月に公開草案が出された「金融商品：保有区分及び測定」についてのような気がします。公開草案では、現在の3区分（売買目的、満期保有、その他）を2区分にして、差損益を純利益か包括利益に計上しろという内容。その他で区分されている持ち合い株について毎期損益計上すること、そして、その損益を包括利益として表示することとした場合、配当金も包括利益に計上される（純利益から外される）そうで、銀行をはじめ日本企業、金融庁はご立腹ということです（IASBに要望も出しています）。純利益として計上する選択肢を残したこと自体、日本のアドプションへの姿勢がうまく働いたとされているので、これ以上の食込んでいけるのかどうかは不透明。2区分で、公正価値、償却原価の評価2本化は、深く考えなければシンプルでいい方法とも言えます。国際会計の場合、企業文化や哲学の違いがやはり壁になりますね。日本のアドプションが現実味を帯びている昨今、大手企業でもIFRS適用の動きが報道されています。住商、日産は早ければ2011年3月期、JTも2012年3月期から、丸紅も2013年3月期からIFRSを適用するとかしないとか。米国市場で一悶着あって今は日本基準のNECも2013年3月期からの適用を方針として固めているそうです。これに合わせて、監査法人もIFRS要員を増やす動きで、来年にも今年の2.6倍の7,700人が導入支援、監査に携われるように研修をしている模様です。IFRS対応も大変ですが、監査業界は、ここのところの内部統制制度、四半期決算制度で報酬が前期比32%増だそうです。もともと米国基準採用の企業を除くと97%増というから、約2倍。1社当たり平均も3億円程度だとか。これでは、小さいところは上場をやめたくなるのもわかります。しかし、日本の監査報酬はまだまだ米国の3割程度。CPAは、仕事が増えても人手やおカネが足りない状態です。ただ、追って読んでみただけですが、いい感じの文字数になったので、今回はここまで。]]></content>
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    <title>気になる会計ソフトの内部ロジック</title>
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    <issued>2009-09-02T00:20:22+09:00</issued>
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    <author><name>yangyi0312</name></author>
    <dc:subject>会計一般</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200909/02/51/a0036051_0194685.jpg" alt="_a0036051_0194685.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="160" width="120" />　政権交代が現実のものになりました。コラムです。かなり思いつきの駄文ですが、ぐだぐだ書き記しておきます。さて、経済が変化するなか、会計をどう捉えるか、また会計（理論）をどう構築するか、ということを学会では議論されているわけなんですが、実際の運用、つまり現場の感覚からすれば、その議論は実務からかけ離れた次元で論じられていると感じることだと思います。そして、研究者の議論は、財務会計、管理会計、監査、税務、それぞれがその専門家によるもので、会計全体としての議論が行われていないという感もあります。各会社では、すべてを含めて会計実務として日々業務を行っていることを考えると、やはりその乖離を感じます。学会での議論は非常に正確で緻密なのですが、実際の運用（実務の観点）からすれば物足りなく、実務への対応の話となると理論家からすれば、正確性に欠け、多少いびつでも運用できればよしとする感覚を受けます。どちらが正しくて、どちらが間違っているというものでもなく、両者を合わせた議論が求められます（言わずもがなですが）。私自身は会計理論の精緻化という課題に日々思いを巡らせているわけですが、様々な会計分野を総合的に論じることは今の能力では不可能です。可能なのは仙人レベルの学者先生くらいでしょう。かといって疎かにできないので、全体を詳細も含めて繋げて考えることはできないものかと考えていると、現実に運用されている会計システムが実際にそれを体現しているじゃないかと思いました。特にERPを使用している場合は、財務会計、管理会計というすべての会計情報（それ以外の情報も）がひとつのシステムとして実際に動いていると。ソフトウェアは、言うまでもなく機械であり、命令に従ってしか動作しないものです。つまり、すべてのパターンを論理的に構築していない限り、システムとして機能しないわけで、少なからず（絶対いびつな形をしてる気がしますが）会計情報をすべて論理的に繋ぎ合わせてシステムが構築されているはずです。そう考えると、ものすごくERPのデータ構造やシステム設計に興味が沸いてきます。SEの頃に、会計ソフトのデータベースの中身なんかも見る機会がありましたが、その頃は仕事で頭がいっぱいだったので冷静に構造を見ることなんてなかったんですが、今になって構造の観点から詳しく見てみたいなぁなんて思います。前々から元SEの小さな野望として、ボタンひとつで簿記の問題・解答を作成するソフトウェアを作ってしまいたいと思っているのですが、一つ一つの会計処理パターンを式に落とし込んで、自分で構築していくと、理論と処理の一貫性なんかをつぶさに検討できるかなぁなんて最近では思っています。でも、きちんと作るとなると設計も含め、かなり大変なことは想像に難くありません。そして、この休みも手をつけられずにこのまま終わっていきそうです…。]]></content>
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