2003年 10月 24日
近代会計 |
なかなか論文が仕上がりません。コラムです。さて、今回は“近代会計”について。近代会計は、近代的な委託、受託関係に関する制度であるとして、株式会社制度として生まれました。株式会社制度は、イギリス東インド会社が世界初の近代的な株式会社となったことにより始まります。株式会社制度は資本と経営の分離が前提とされており、その状態の納得のために行なうものとして会計を捉えています。つまり、経営者と株主との力の関係からくる説明責任として会計を捉えていました。18世紀末の産業革命によってイギリスでは企業の活動規模が急速に拡大し、株式会社形態をとる企業の割合が増加しました。株式会社の社会的な普及に伴い、イギリスでは1884年会社法において、会社に対して財務報告と監査を義務付けるようになり、それまで個々の会社独自に行われていた会計が社会的な制度として組み込まれるようになりました。初期の株式会社および近代会計は、以上のように目的を明確なアカウンタビリティにおいて会計が行われていましたが、株式市場の発達とともにその目的および役割は少しずつ変化していきました。近代会計の発展は、株式会社制度の発祥の地であるイギリスではなく、アメリカの株式市場を通して進みました。アメリカでは、20世紀初頭から活発な株式市場が発達し、それに付随して起こる投機的売買を鎮めるために一層の公的開示が要求されました。1929年のウォール街で起こった株の暴落によって、一般株主は大きな損害を被ったため、これを機会に、「投資者保護」の思考を強めるようになりました。1930年代になると、会計の目的が債権者目的や信用目的というものから投資者目的へ変化して、財務諸表の重点も貸借対照表から損益計算書中心にかわりました。それ以降、ペイトン・リトルトンの『会社会計基準序説』やシュマーレン・バッハの『動的貸借対照表論』に代表されるような取得原価主義を基調とした期間損益計算のための理論体系が確立されましたとさ、ちゃんちゃん。
苦し紛れの更新なんで内容はあんま気にせんといて~
苦し紛れの更新なんで内容はあんま気にせんといて~
by yangyi0312
| 2003-10-24 00:00
| 会計一般