2008年 07月 23日
シンクレティズム会計 |
月一を公言しながら、忙しさに負けて2ヶ月ぶりのコラムです。ふと思った理論を無視した駄文をお送りします。さて、研究が煮詰まっているなか、『企業会計』8月号の特集は“収益認識を巡る主要論点”ときました。The 研究課題。IASB・FASB共同プロジェクトの測定モデルと配分モデル、EFRAGの決定的事象アプローチと継続アプローチについて、サラっとおさらいするにはちょうどよい内容となっています。まあ、兎にも角にも“資産負債アプローチ”、“実現稼得アプローチからの離脱”です。この方向性は正しいのやら。そもそも、経営者の裁量の余地を完全になくすことは不可能ですし、すべてを資産負債アプローチや公正価値で会計を行うなんて土台ムリなんじゃないかと思います。まあ、とにかくある原則に完全に従わなければならないというのは、理論的には美しいですが、ややもすると原理主義です。自然科学において、理論は絶対ですが、社会科学においてはちょっと違うんじゃなかろうか。どんな会計理論も経済環境や会計に対する役割期待が変化すれば、それに伴って変化していくわけですから。白黒をハッキリさせる欧米諸国もよいのですが、グレーな日本も悪くないと思ってます。曖昧といわれれば曖昧ですが…。厳格な一神教思想や合理主義を基調とする欧米諸国には考えられない発想ができるのが、「和を以て貴しと為す」大いなる和の国、日本です。和魂洋才、神仏儒習合思想をもった日本が、偏りのない相互補完的な理論を作り出せないもんかなぁなんて淡い期待を持ってみたり。諸外国には相手にされないにASBJの“内的な整合性”もその表れでしょう。賛否両論ありますが、現実と理論を考慮したひとつの答えでもあります。完全なる市場経済が達成できているのであれば、公正価値会計による合理的な理論も通用すると思いますが、現在の複雑怪奇な経済社会においては、いろんな不確定要素、形態が存在し、そう簡単にはいきますまい。やはり、これまでの会計理論のイイトコ取り的なハイブリットな理論構築が望まれるような気がします。最近、収益認識について、進行基準的なアプローチが意外とハマってるんじゃないかと考えています。一昨年の論文で、負債消滅説による契約の履行(義務履行の消滅・価値の創造)によるロジックで捉えることができると書き、昨年の論文では配分モデルは、結局“実現稼得アプローチ”と変わらないじゃないかと述べましたが、それはそれでいいんじゃないかと。まさに資産負債アプローチと収益費用アプローチのイイトコ取り。客観性は、市場なり監査なりで担保できれば、十分かなぁなんて無責任なことを考えています。さて、これ以上てきとーなことを書くと怒られそうなので、駄文はこのくらいにしておきます。前期は週一会社、授業&TA14コマと、社会人院生の頃より忙しい毎日でした(まだ終わってないけど…)。時間が空いたときにまた何か書きたいと思います。
by yangyi0312
| 2008-07-23 08:21
| 会計一般