2024年 08月 11日
私の履歴書② |
前期を終え、夏休みに入りました。コラムです。山口に戻って10年ぶりに再開したと思っていたら、4年以上も放置していました。今回も「私の履歴書」風。梲が上がらない、鳴かず飛ばずの会計士受験生活は、そのまま院試に持ち込まれます。会計目的や概念フレームワークに関心があったので、もう少し勉強したい気持ちがあったのですが、試験対策らしい試験対策もせず、何となく理解している理論と、4年間やっていた中国語で臨んでしまいます。結果、当然のように落ちます。そして、冬の院試を実施していた拓大に進学します。マスター時代は、試験や業績などのプレッシャーはなく、興味をもった専門書や論文を自由に読める時間を満喫していました。そんなこんなで、就職する意識もなく、このまま勉強していたいなぁとドクターに進んでしまいます。当時は2ヶ国語必須だったので、語学ができないのによく受かったと思います。博士に進学してからは、業績や学位を強烈に意識せざるを得ない状況(気付くの遅い)となり、好きなことをやるという感じではなくなっていきました。他大学で死ぬほど頑張っている院生が挫折して研究から去っていくのを横目で見ながら、自分はどうにもならないだろうし、ここらが潮時かなという結論に至ります。そして、ドクターを1年終えたところで、一般企業に就職しました。いつも通り、周りに相談することもなく、勝手に決めます。心からお詫びする次第ですが、相談してマトモな助言をもらうと人の勧めた人生を歩むことになるので、人生を左右する局面では自分勝手にするのが、よりよく生きるコツだと思っています。会社に入ってからは、新しいことに取り組む楽しさと働くことが苦にならない性格が相まって、いっぱい働きました。ここで得た技術や知識、会社員経験が、その後のキャリアに必要不可欠なものとなります。大学院はというと、1年の休学を経て復学することになります。会社を辞めて、研究に専念するよう求められましたが、その気持ちはなかったので退学を伝えたところ、休日に指導するので続けないかと勧められたので、社会人大学院生になりました。このご恩は一生ものです。働きながらの学位は諦めていたので、興味をもったテーマで自由に論文を書いて、満期退学しました。学位は未取得ですが、教員公募への応募が可能になったので、30歳まではチャレンジしてみようと思い、会社を辞めて、非常勤講師生活に入ります。このとき28歳。奨学金残高が約900万円。年金、健康保険と家賃で家計は赤字だったので、金銭的に厳しい時代でした。
by yangyi0312
| 2024-08-11 17:39
| 独り言








