2020年 07月 24日
私の履歴書 |
2Q前半を終え、夏休みに入りました。コラムです。唐突ですが今回は「私の履歴書」風。小さい頃は喋り始めるのが遅かったうえに数字が好きだったようです。小学校に入学した頃は、無駄に難しい漢字を覚えまくったり、自転車を改造したりしていました。86年の年末時代劇スペシャル『白虎隊』で歴史好きに火がついてしまい、会津藩や長州藩の旗を作ってみたり、祖父のアトリエに篭って歴史本を漁ったり、史跡を巡ってみたり、それをまとめてみたり、ちょっと変わった子どもだったかもしれません。小学6年の頃は、毎日ノート半冊分以上を使うほど日本の歴史をまとめていました。数ヶ月で飽きてしまいましたが…。この辺りに研究者としての原点があるように思います。飽きっぽいところも含め。一方、ナウシカやラピュタ、BTTFやターミネーターをアホみたいに繰り返し観る普通の小学生でした。ビックリマンやミニ四駆もやりましたね。平均身長に数cm足りないくらいの身長ですが、3月生まれということもあり、小学校までは背の順で前から数番目の位置でした。とは言え、運動全般は得意分野で、徒競走も小学6年のときに足の速い順で組まれた回以外は1位だったと思います。組体操は中心の高い塔のてっぺんでした。緊張しましたが、なんとかなるもんだと思いました。中高は陸上部でずっと走っていました。特に中学時代は毎朝6時に家を出て朝練、夕方の練習が終わっても、夜に近所で練習していました。部活が盛んな学校で、まるで軍隊だったので、30分前集合が当然でした。高校に入って、世間のゆるさにカルチャーショックを受けたほどです。勝負所で力を出すための日常の過ごし方は、ここで学びました。高校時代は無気力でした。部活もほどほどにこなし、友達ともほどほどに遊び、何かに集中することもなく時間が過ぎていきました。受験を目的にした勉強が嫌で、勉強しないと決めてしまい、成績は何とか進級できるレベルでした。歴史好きなのに、そんな厨二病を発症して、日本史の授業でもろくに聞かずに後ろの席でトランプしていました。高校3年の夏休みに、唐突に自転車の旅に出たのは、パワーが有り余っていたのだと思います。生まれる4ヶ月前に亡くなった祖父が税理士で、昔から漠然と事務所を継ぎたいと思っていたので「会計」の文字の入った学科から中央大学に進学しました。1年目は大学そっちのけで、アルバイトに勤しみました。任されることがとにかく楽しかったのだと思います。社員ばりに情報収集しながら仕事してましたし、好きな勉強の原点に立ち返る機会になりました。あと、社会人以降の社畜気質が垣間見れます。ただ、ある程度仕事ができるようになって「バイトはバイト」という感覚を持てたのはよかったです。時間をこれ以上ここに費やすのは無駄だと思い、辞めました。大学1年の冬に公認会計士講座を受講することにして、水道橋の大原に通うようになりました。この頃から、新聞や本を読むのが習慣になりました。大学3年と4年の時に公認会計士試験を受けましたが、典型的な授業を受けるだけの受験生で、まともに試験勉強をしていなかったので、当然のように落ちました。絶対に受からない、授業に全くついていけない状態は、精神的に相当キツかったのですが、今となってはいい経験だと思います。失敗や挫折は、いろんなことを教えてくれるので貴重です。
by yangyi0312
| 2020-07-24 13:28
| 独り言