2005年 03月 02日
中国会計史 |
なんか最近ストレス溜まってきた。コラムです。今回は、中国の会計の歴史をみてみます。まずは一般的な会計史から。会計のそもそもの起源は古代文明まで遡ることができます。古代シュメール、エジプト、バビロニアにおいて、徴税記録などの記録が発掘されてますし、古代フェニキア、ギリシャといった商業のなかでは代理人会計が行われていました。その後、会計の歴史上最も大きなインパクトであったのが、中世イタリアにおける複式簿記の発展・普及ですね。そして、近代会計の生成は、株式会社制度の誕生とともに進んでいくということになります。まあ、これがごくごく一般的な会計の歴史であり、大抵そのなかに東洋のお話は出てこないです。東洋に西洋式複式簿記が伝わるのは、日本においては福沢諭吉が『帳合之方』を書いた頃、中国では西欧列強の植民地化が始まってからいくらか経った頃です。まあ、ざっと100年前でしょう。日本においても中国においてもそれまでに独自の会計手法があったということは言うまでもありません。日本においては大福帳なんかが代表例になると思います。前置きが長くなりましたが、中国の会計の歴史について話を始めましょう。中国4000年の歴史(3000年?どっち?)というだけあって、中華文明は偉大です。西洋式とは違った独自の複式記帳が実に西周(B.C.1111年~B.C.782年)の頃から行われていました。尤も商業的なものではなく、官庁会計としてですが。そして、中国の会計は以後官庁会計として発達していきます。まあ、あれだけの大きさを誇ってるわけですから統治する王朝も大変。記帳法としては、時代に沿って、単式記帳法→三脚帳法→龍門帳法→四脚帳法→西洋式複式簿記→増減記帳法→西洋式複式簿記という流れで発達もしくは使用されてきました。単式記帳法は、原始社会から商(殷)の頃までの単なる甲骨文字の記録であり、その名の通り単式記帳のものです。西周から記録が組織立ったものになり帳簿も草流、総清、細流(漢から)の3つからなるようになり、それをもって三脚帳法と言うみたいです。宋の頃には官庁会計としてかなり精緻化され、その後の商工業発達とともに民間で発達し、明を経て清の頃には四脚帳法として完成をみたようです。龍門帳法は、明末から清初期に商業のなかで創り出された記帳法で、三脚帳法では分別して記録していなかった勘定の性質の区分を行っているものです。増減記帳法は、計画経済に対応する会計制度として、ちょい昔に中国で作られ使用されたものです。それぞれの記帳方法について詳細を理解しているわけではないですが、とりあえず簡略に説明するとこんなところです(説明にすらなってない?)。まあ、東洋においても大昔前から複式簿記はあったということを知っておきましょう。ルカ・パチオリだけではないのです。
by yangyi0312
| 2005-03-02 01:05
| 会計一般